ごぶさたになっていまして申し訳ありません。
出来るだけ更新を多くしてまいりたいと思いますので、気長にお付き合い下さい。
今日は新しい現場の下見に行ったところ、庭先に飛び石を発見。
以前、新しい庭を造っていた職人さんが石臼を使っていたのですが、ここにも多くの石臼がありました。
気になって調べたところ、石臼が磨耗して機能しなくなるとこうして第2、第3の人生を送るように飛び石に使われるとのこと。
元々溝切りしてある石臼は水紋の代わりだったとか。
本来の機能から、新しい機能に移り変わっていくことを「見立て」というそうです。
本来のものから別のものに見立てて使用し続けていく、禅宗の精神とのこと。
最近はそういった方向の仕事も多く、感慨深いものがあります。